__「GiRLPOP」って何?

Wikipediaでは以下のように書かれています。
『GiRLPOP』(ガールポップ:和製造語)は、エムオン・エンタテインメント(旧ソニー・マガジンズ)から発行されている音楽雑誌。

また、1990年代から2000年代中盤にかけてソニー・マガジンズを中心に提唱された、日本の若手女性ポップス歌手・シンガーソングライターを盛り立てていこうというメディアミックスムーブメントの名称でもある。当時は音楽ジャンル名(関連:ガールグループ)のような使われ方もされ、テレビ・ラジオ番組名にも使われた。

「GiRLPOP」は、女性(girl)とポップス(pops)を合成した造語であり、アクセントとして「i」が小文字になっている。GiRLとPOPの間に空白が入る場合もあったが、入らないものが正式となったようである。

休刊期間をはさんで雑誌の性格が大きく変化しており、初代(1992年 - 2006年)と2代目(2011年 - )に分けられる。(以上、Wikipediaより引用)
当サイトでは日本の若手女性歌手・シンガーソングライターを中心としたムーブメントを「GiRLPOP」、それらの歌手の音楽ジャンルを「ガールポップ」と表記します。


__GiRLPOPができるまで

1990年代初頭は80年代に栄えた音楽番組が軒並み終了した時代。音楽番組を活動の中心としていたアイドルはデビューしても売れない冬の時代に突入していました。
その一方で、80年代後半以降には谷村有美永井真理子森高千里LINDBERG(渡瀬マキ)、井上昌己森川美穂加藤いづみといった、アイドル性とアーティスト性を兼ね備えた女性歌手が数多くデビューし、商業的にも徐々に成功を収めつつあったのです。また、80年代にデビューし人気を博したアイドルの松田聖子、小泉今日子、中山美穂、工藤静香などもビジュアル面を中心にアーティスト性を増した方向性へとシフト、こちらも人気を維持していました。

この状況に目をつけたソニー・マガジンズは当時の女性歌手・シンガーソングライターを指す造語として「GiRLPOP」を発案。テレビ番組・ラジオ番組・ライブイベントなど、幅広いメディアでそれらの歌手を盛り立てていくことを目指し、雑誌「GiRLPOP」(以下、GiRLPOP誌)はその第一歩として1992年夏に創刊されました。

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▲雑誌「GiRLPOP」創刊号。表紙は渡瀬マキ(LINDBERG)。


__GiRLPOP興亡の歴史

同年冬からはライブイベント、93年・94年からはラジオ・テレビでも「GiRLPOP」が展開され、ムーブメントは時のビーイング系・TKファミリーと比較すると実に小規模ながらも、確実に盛り上がりを見せていきます。

また、GiRLPOP誌の創刊以降、その波に乗るように数多くの"ガールポップ系"歌手がデビューしていきました。近藤名奈相馬裕子佐藤聖子鈴里真帆奥井亜紀久松史奈などがその代表例です。
中にはテレビ朝日系の「ミュージックステーション」やフジテレビ系の「HEY! HEY! HEY! MUSIC CHAMP」への出演を果たす者も現れ、1995~96年頃にはムーブメントもピークを迎えました。

しかし、1998年頃からはライブイベントを開催していた日清パワーステーションの閉鎖、宇多田ヒカルやMISIAの台頭を契機とした和製R&Bの隆盛、CD売上自体の低迷など、時流に明確な変化が現れ、かつての80年代アイドルのように活躍の場を失ったガールポップには徐々に陰りが見え始めます。ムーブメント全盛期を支えた歌手も、解散・活動休止・引退・インディーズ活動へのシフトなどによってその多くが2000年頃までに表舞台を去ってしまいました。

危機を迎えたGiRLPOP誌は、女性歌手以外にハロー!プロジェクトのモーニング娘。、松浦亜弥、メロン記念日などを中心とした明確なアイドルも扱う方針変更で再起を図りましたが、奮闘空しく、15年目突入を目前に控えた2006年3月刊行の第79号をもって休刊となりました。

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▲雑誌「GiRLPOP」第79号。表紙はHIGH and MIGHTY COLOR。


__アイドル戦国時代とGiRLPOP誌の復活

GiRLPOP誌休刊後の日本の音楽業界はPerfume、AKB48などの台頭により、いわゆる「アイドル戦国時代」を迎えていました。
ソニー・マガジンズから形を変えたエムオン・エンタテインメントがこれに目をつけ、2011年6月に季刊という形で5年ぶりにGiRLPOP誌を復刊。AKB48、乃木坂46、ももいろクローバーZなどのアイドルが表紙を飾るアイドル雑誌として早くも復活を遂げるのでした。ここでは復活したGiRLPOP誌を「2代目GiRLPOP誌」、同誌刊行中の一連のムーブメントを「第2次GiRLPOP」とします。

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▲雑誌「GiRLPOP」2011年夏号。表紙は前田敦子。

この第2次GiRLPOPにおいては、テレビ番組「GiRLPOP TV」の放送、ライブイベント「LiVE GiRLPOP」の復活、更には時代に合わせたWEBサイト「GiRLPOP Scheduler」も新たに展開されるなど、90年代の第1次GiRLPOP全盛期を彷彿とさせるようなメディア展開が行われました。

しかし、2代目GiRLPOP誌も2015年12月の2016年冬号(第20号)を最後にアナウンスや新規の刊行はなく、事実上休刊。その他メディア展開も現在はすべて終了しています。


__当サイトについて

当サイトでは、上記の初代GiRLPOP誌(1992~2006年)刊行期間中にその誌面を彩った歌手や、掲載こそされなかったものの、同時期(1987年頃~2010年頃)に活動し、誌面掲載歌手と同様若しくは類似したプロモーション戦略がとられていた歌手・女優・声優・アイドルなどを「ガールポップ系歌手」と定義し、そのアーティストデータの集約・ライブラリ化を目指しています。
GiRLPOPムーブメントやそれに関連する歌手を知っていただける、もしくは「こんな歌手いたな~」と思い出していただける切っ掛けとなれば幸いです。

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